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国防大臣(こくぼうだいじん、英:Secretary of State for Defence)、または国防相 (Defence Secretary) は、英国政府の上級大臣であり、国防省を所管するほか国防評議会の議長を務める。同職は閣僚級の職であり、国防調整担当大臣(Minister for Coordination of Defence, 1936年-1940年)の職と国防担当閣外大臣(Minister of Defence, 1940年-1964年)の後継として、1964年に設置された。 == 国防調整担当大臣 (1936-1940) == 国防調整担当大臣 (Minister for Coordination of Defence) の職は、英国の国防力強化を監督・調整するために1936年に設置された、閣僚級の職であった。 同職はスタンリー・ボールドウィン首相によって設置された。「英国軍はナチス・ドイツ軍に比して兵力に劣る」との批判に応えるためであった。このキャンペーンはウィンストン・チャーチル主導のもとで行われ、挙国一致内閣内のチャーチルより年配の人物のほぼ全員が、政治家や解説者によって取り沙汰されたが、多くの人々はチャーチルが新任の大臣に任命されると考えていた。にもかかわらず、ボールドウィンは司法長官のトマス・インスキップ卿を選んだため、各方面から驚きの声が上がった。有名な意見は「これは、カリグラが愛馬をコンスルに就けようとした時以来の最も馬鹿げた人事だ」というものである〔この言葉は事あるごとに引用されてきたが、元々の発言者は明らかでない。非常に影響力のある論考''Guilty Men''の「カリグラの馬」と題する章は「大政治家」(74頁)の発言としており、この「大政治家」をチャーチルとみる向きもある。しかし、グレアム・ステュアート著''Burying Caesar: Churchill, Chamberlain and the Battle for the Tory Party'' (London; Phoenix, 1999, ISBN 0-7538-1060-3)の487頁は、この台詞を吐いたのは政治家ではなく、チャーチルの友人の教授であると考えている。〕。現在では、この人事はボールドウィンによる警戒の証と考えられている。即ち、英国の戦争準備の証拠と外国勢力から見做されていたチャーチルのような人物を任命したくなかった、あるいは過激で物議を醸す人物を大臣に起用することを避けたいと考えた、というのである。 1939年、第一海軍卿のチャットフィールド卿がインスキップを継いだ。第二次世界大戦が始まると、新任のネヴィル・チェンバレン首相は小さな戦時内閣を組織し、チャットフィールドが3軍の各大臣(陸軍大臣、海軍大臣及び空軍大臣)の報道官役を果たすことが期待された。しかし政治的配慮により、結局3軍の大臣はいずれも閣内に留まったため、チャットフィールドの役割は次第に不要とされた。1940年4月、同職は正式に廃止され、その権能は他の大臣らに移ったのである。 凡例 ''政治家'': ''政権'': 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国防大臣 (イギリス)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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